雑ネタ
キオクの横溢...
GSX-R750を取り巻く邂逅
人生初にナナハンに憧れたのは高校生の時。
バスの車窓から真紅に輝くスズキGSX-R750を見たときです。交差点で、革ツナギのライダーがタンクに両手を乗せている様が本当に格好良かった。こんな美しいものがあるのか!と全身に電気が走りました。
今回ラインナップのGSX-R750
モノスゴイ反響でゴザイマス。
掲載から1週間で『購入したい』というお客様から4件の連絡が。
首都圏、甲信越、北関東、九州地方からのお問合せです。
車両の程度が良いにも関わらずとってもリーズナブルな価格提示が功を奏しているのでしょう。
しかし、それ以上にGSX-R750の魅力です。特に初期型に思い入れがある方の心に刺さるものがあるのでしょう。
まったく私の心境と一致していますね。とすればDEさんの慣性はド真ん中のニュートラルっていうことが言えるかもです(笑)
1986当時はオートバイブーム、鈴鹿8時間耐久ロードレースのブーム、奥多摩・大垂水のブームの絶頂期でした。
鈴鹿8耐TT-F1クラスでポップ吉村スペシャルチューニングのプライベーターマシンがワークスマシンと互角に戦う姿に酔いしれておりました。
そのヨシムラも初期は五日市のご近所である福生市でマフラー製作をしていたのですから、我々は勝手に西多摩の誇りと感じていたワケであります。
鈴鹿8時間耐久ロードレースは1978年から開催され、1980年からは世界耐久選手権レースに昇格しました。
特に1980年代から1990年代初頭は日本のオートバイ人口のピークと相まって大盛り上がりでした。
当時の鈴鹿市の人口は約14万人のところ、1990年の決勝レースはその人口を超える16万人の観客動員を記録。大会期間中の延べ入場者数は36万人を記録しました。
今の観客動員数の3倍くらいでしょうか?もう異常なほどの熱気でございました。
耐久ロードレースは市販車ベースの戦いですから、まさにGSX-R750は公道を走るレーサーだったワケです。これをレーサーレプリカと言っていました。
限定解除の難関さもあってナナハンのレーサーレプリカなん見たこともなかったところにこのGSX-R750ですから、当時の高校生達が震えるような感動を覚えるのは当然だったと思います。
オートバイを題材とした漫画も大流行で、
漫画『二人鷹』ではGSX-R750は当然のところ、ポップ吉村、モリワキモンスターの森脇護、ワインガードナー、フレディスペンサー等の天才ライダーが実名で登場するのですからもう大興奮ですわ(笑)
また、佐藤信哉さんのバトルスーツにも目が移りましたね。ロードレースとは対極にある尖ったバイカー路線ではありますが、これも恰好良かった。
DEさんは、KADOYAのシリアルNO入りのレザーパンツを少なくとも30年以上使っておりますし ( ´∀` )
佐藤信哉さんは日本人として初めて公道300km/hを達成したとされている方ですね。ほぼノーマルのGSX-R750Rを駈ってアウトバーン速度無制限区間で。
その影響で雑誌『Mr.Bike』を愛読書としておりました。廃刊となった最終刊を今も大切に所有しております (◎_◎;)
■ポップ吉村がパイプに砂を詰めてバーナーで炙って造る手曲げ集合管の物語
■鈴鹿8耐の異常人気
■佐藤信哉の公道300km/hチャレンジの物語
現物のGSX-R750が出現した途端これらが脳裏に湧き上がってくるのは何故でしょうね^^
40年前、事故による死者も沢山でて知人が何人も消えました。
18歳になると皆クルマに移っていきました。
40年以上バイカーなのは少数になってしまいました。その生き残りがオートバイの良さをこれからも伝えていこうと思います^^